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作り手をたずねて

染織家 築城則子

小倉織の歴史

豊前小倉藩(北九州市)の特産品として、江戸のはじめから武士の袴や帯などに用いられてきた「小倉織」は、
その木綿布の丈夫さから、武士のみならず広くの庶民の間でも実用品として重宝され、明治時代には男子学生の制服として全国へ広まっていきました。
しかし、戦時下の昭和初頭にはその伝統も残念なことに途絶えてしまいます。

それから数10年を経て、小さな「小倉織」の断片に魅せられた染織家・築城則子さんが、2年もの間、試行錯誤を繰り返し、1984年、手織りによる「小倉織」を復元・再生させました。

築城さん

小倉織

築城さんと小倉織りの出会い

「小倉織」は、江戸時代初期から豊前小倉藩(福岡県北九州市)で袴や帯などとして織られ、
多用した経糸が色のリズムを生む、立体感あふれるたて縞が特徴です。 かの徳川家康も愛用した、
丈夫でしなやかな質感の木綿布は日本全国で珍重されていました。明治時代には、文明開化の波のなか男子学生服として霜降りの小倉織が、
新たに全国に拡がりました。しかし残念なことに、戦時下の昭和初期に一旦途絶えてしまいます。
それから数十年後、染織家 築城則子さんは偶然に「小倉織」の端布に出会います。能舞台に充ちている色と音の世界に惹かれ入った染織の道の途中、
偶然にも出会った小さな10センチ四方の端布が「小倉織」でした。
自分の生まれ育った小倉の地で350年以上も袴や帯地として名を馳せながら、昭和初期にはその生産が途絶えてしまったことも知りました。
なめし革のような質感、木綿だけれど絹かとも見紛う底光り、くっきり冴えた縞に魅了され、試作を開始。
それから2年もの試行錯誤を繰り返し、1984年、遂に手織りによる「小倉織」を復元・再生。
更に2007年には機械織による現代の小倉織「縞縞 SHIMA-SHIMA」ブランドを立ち上げました。

小倉織

丈夫でしなやか、高密度の縞模様

小倉織は、良質の木綿の糸を使用した先染め平織りの織物です。
築城さんは、経糸が多いという小倉織の特徴をより際立たせるため、経糸の本数を増やし、より細い糸を使用することを決断します。
一般の布地では1cmの幅に使用する経糸が23本のところ、縞縞では2倍以上の59本にもなりました。
経糸を高密度にすると、織りにくく多くの手間と時間を要するため、ほとんどの産地では経糸を少なくし、
緯糸を太くして厚みと強度を出しています。
そうして織り上がった生地は、丈夫であっても硬いごわごわしたものになってしまいますが、細い糸を多用した縞縞の布地は、
丈夫な中にもしなやかさを兼ね備えた上質なものに仕上がりました。 更に、経糸が多いことで緯糸が見えず、必然的に美しいたて縞の表現も生まれました。
以前の小倉織では見られなかった赤や黄などの鮮やかな色味も加わり、現代の小倉織は進化を続けています。

機械織りにより、大判生地の制作が可能に

機械織に使われる織機

糸を巻く機械

糸巻き

小倉織のすすめ
小倉織の風呂敷は表裏どちらもきれいな縞模様。
薄くてしっかりした生地はキュッと心地よく結ぶことができます。綿100%ですので、ご自宅でお洗濯していただけます。
普段に取り入れたい日本の伝統小物です。
WISE・WISE tools 上田
築城則子さん

1952年北九州生まれ。染織家。日本工芸会正会員。「遊生(ゆう)染色工房」主宰。
2008年、日本伝統工芸染織展文化庁長官賞など受賞多数。
製法の途絶えていた小倉織を復元し、草木染め、手織りの小倉織を制作している。「縞縞SHIMA-SHIMA」では、糸の選定とテキスタイルデザインの監修をつとめる。
http://www.tsuikinoriko.com

小倉織

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